「この一冊ですべてわかる!」式の安直でインスタントな本ばかりを選んではいけない 【福田和也】
“知の怪物”が語る「生きる感性と才覚の磨き方」
■大事なのは、本と「社交」すること
大塚英志氏が、何年も前に、大学に通い出した奥さんの話にふれながら、自分の周囲の人々の学習熱について、書かれていました。ある年代の女性たちが、勉強をしたい、という、一種無償ともいうべき情熱を持っている。無償というのは、それによって資格をとろうとか、学位をとろうとか、業績を挙げて認められたいというようなものではない、そういう具体的な結果を求めるのではない、自分の意識や視野を広げていきたい、ただそれだけというような欲求を。
大塚氏の指摘したような傾向は、現在、かなり広範に存在しているのだと思います。ただ、現在の社会、知的状況全体が、あまりにも商業的であり、また成果主義的であるために、本来ならば高邁(こうまい)であり、長い時間とゆるやかな進展がふさわしいものに対しても、どうしても安直でインスタントな解決を求めてしまうのです。
そういう今風のスピーディーで効率的な回路を抜け出て、いかに読書を、自分独自の体験としていくか。このことは、社交的読書においてはきわめて大きなテーマであります。
つまり、まず何よりも、本とのつきあいを面白がっていただくということ。本との社交について、意識的になって欲しいということです。
本を読んでいくというのは、さまざまな本とつきあっていくということであり、これは、人とつきあうことと、よく似ています。私たちは、生きていくうえで、それこそ沢山の人と出会い、いろいろなことを学び、感じ、認識して成長していきます。その出会いが、喜ばしいものであり、幸福なものであることもあれば、味気ないこと、がっかりさせられるものであること、それどころか辛く、忌まわしいこともあるでしょう。また、その時は、とてもいいつきあいだと思っていたけれど、後で考えてみれば、何とも無内容で、つまらないつきあいだったと考えることもあるでしょう。
自分を認識し、他者を理解するためには、こうした経験が不可欠です。さまざまなトラブルにあいながらも、人とつきあうことによって得る経験から、自分がどんな人間か解ってくる。
書物とのつきあいも、まったく同じことなのです。
いろいろな本とつきあってみて、はじめて、自分がどういう人間なのかがわかる。と同時に、本に対する自分なりのものさしができてくる。つきあいのスタイルがあらわれる。
ですから、いずれにしろ、たくさんの本を読んでみるという過程は、本と親しくつきあうためには避けられませんし、系統を無視した濫読も、その点では大事な経験なのです。
この体験に近道はありません。しかし、同時にまたそれは、あなたの大きな財産になるのです。若いうちに、とにかく濫読の機会を持つというのは、必要ですし、現在では、贅沢とすらいえる経験だと思います。
(『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』より本文抜粋)
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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」